ホメオパシス
渡部 源太郎
JPHMA認定プロフェッショナルホメオパスNo.522
私は横浜市綱島で、教師の父と医師の母のもとで生まれ育ちました。幼少期から想像力が豊かで、好奇心も強かったと思います。いつも忍者やスーパーカーなど、さまざまなイメージが私の頭を駆け巡っていました。その想像力の強さは、やがてアニメの世界に私を向かわせます。
特に『宇宙戦艦ヤマト』に衝撃を受けました。私の想像力ははるかアンドロメダ星雲にまで広がり(笑)、私の内側の世界をどんどん豊かにしていきました。現実の世界でも、私はアニメの影響で絵を描くことが好きになり、学生時代を通して絵ばかり描いていました。
医師である母は、私が自分と同じ医師になることを期待していましたが、私は自分の”好き”を貫いてイラストレーターになりました。自動車の専門誌である『ベストカー』誌で、自動車イラストの掲載を担当したり、マンガ家のアシスタントとしてバイクやメカニック系の画を描くなど、”好き”な世界で一応の成功を収めました。
やがて結婚を機に、イラストレーターとして独立。自動車やバイク専門のイラストレーターとして活動していましたが、あるときから仕事が激減してしまいました。
今思えば、これが私にとっての人生の転機だったのかも知れません。
仕事の減少と同時に、私の身体を異変が襲ったのです。それは異常事態でした。ある日めまいを感じ、倒れてしまいました。身体中が真っ赤に腫れあがり、高熱にうなされました。全身に帯状疱疹が出てしまった私は、診断を受けた結果、水疱瘡であることが判明しました。
入院を余儀なくされ、退院後もエネルギーが戻らず仕事もまったくやる氣がなくなってしまいました。身体の変化だけでなく、仕事などの環境も大きく変わってしまったのです。しばらく引きこもりのような状態なった私でしたが、その間妻は献身的に私を支えてくれました。私を焦らせることなく、常に寄り添い、私の心の声に耳を傾け続けてくれたのです。
妻は、当時四柱推命をはじめとする占い師をやっていましたが、妻のお客さんから「ホメオパシー」という治療法があるという情報がやってきました。元来、好奇心旺盛な私は、早速ホメオパシーについて調べ始めました。すると「アトピーに効くレメディー(ホメオパシーの治療薬)がある」という話や、「ホメオパシーが完全自然由来で身体に優しいこと」、「ホメオパシーの基本原理」など、とても私の興味を喚起するものばかりで、いつの間にかのめり込んでいました。
イラストでもそうでしたが、興味を持ったらトコトン突き詰める性格の私は、ついにホメオパシーの養成学校に通い、ホメオパシーの専門家(ホメオパス)になる決意をしました。2年後、私はホメオパスとしての資格を取得し、さまざまな業務経験を経て、現在綱島の自宅にてホメオパシーの専門家として活動しています。
私の夢は、このホメオパシーという代替医療を、”漢方”くらいポピュラーな存在にしたいということです!
ホメオパシーにはさまざまな可能性があります。しかし日本国内では、ホメオパシーは諸外国と比較して、色眼鏡で見られていることも事実です。それは、ホメオパシーの事実が、正確に認知されていないことに起因します。
私は自分の活動を通して、もっと多くの方にホメオパシーの真実を知ってもらいたいと思っています。そして、医療における”もうひとつの選択肢”として、みんなが当たり前にチョイスできる環境を創りたいと願っています。